我が城で踊れ潜入者 


第六章 予定通りの暗殺者(前編)



「はぁー、ごっつう疲れたわぁー。」
 誠は軽く伸びなどをしつつ、自分の部屋へと続く廊下を歩いていた。体に残る疲労の
せいで、今日は部屋がやけに遠く感じる。それだけに部屋の扉が見えたときは思わず笑
みが浮かんでしまった。早く休みたいと悲鳴を上げる体を押さえつつ、ゆっくりと扉を
開ける。
 部屋の中はきちんとと片づけられていた。床に散乱していた遺物類も元の棚に納めら
れている。さすがに完全に元の位置とまでは行かなかったが、むしろこの方が見栄えが
いいくらいだ。言うまでもなく、菜々美が掃除してくれたのだろう。
 だが、ベッドの上は今朝とそれほど大差ないようだった。もちろんベッドメイクはき
ちんと為されているし、シーツも取り替えてあるようだった。ただ、その上にかかって
いる毛布が自らの内に包み込んでいる物を誇示するように膨らんでいる。
(菜々美ちゃんやな?今朝はほんま、ええとこで邪魔されてもうたからなぁ…ま、期待
には応えたらにゃあかんわな。)
 たとえどんなに疲れていようと、期待には応えてやらなければならない。誠はわざと
音を立てて扉に鍵をかけると、ゆっくりと焦らすようにベッドに近づいていった。自分
が部屋に入ってきたことは彼女は既に判っている筈だ。昨晩のファトラのように熟睡し
てでもいない限り。そこまで考えて、ふと足を止める。
(もしかしてファトラさんかも知れへんな…まあ、どっちでも構へんけど。)
 実際立ち止まったのは刹那のことだったろう。誠は再び、ベッドに歩を進め始めた。
「お待たせ。」
 あえて、名前を呼びかけずに、そっと毛布の上に手を置く。その瞬間、視界の隅に
違和感を感じて、誠はそれ以上の動きを止めた。
「?」
 辺りを見回そうとしたのと、後頭部をめがけて落ちてきた何かが、大きな反響を上げ
たのとは、ほぼ同時であった。床に落ちて、更に大きな音を響かせたそれを、涙でぼや
け気味の視界で捉えた瞬間、誠は思わず絶叫した。
「何故や…なんで天井から金だらいなんぞが落ちてくるんやぁぁぁーっ」
 金だらいが頭に当たった衝撃と自分の絶叫が頭の中で反響を繰り返す、更に絶叫した
ことによる、一時的な酸素不足が、刹那、誠の全ての感覚を麻痺させていた。そのほん
の一瞬の隙をついて、ベッドの上の毛布がいきなり跳ね上がった。気づく間もなく、視
界が毛布によって遮断される。と同時に何かが右脇腹から左肩にかけて通過していった。
後に鈍痛となま暖かい不快な感触を残して。
 訳が分からず、二、三歩後退する。頭の中で『パニックになってはいけない』と言う
声が駆けめぐる、だが、そんな理性の声もベッドの上に立ち上がった影、いや、その影
の手に握られてた刃の前では長続きする物ではなかった。
「うわあぁぁぁーっ!!」
 先程の声など比較にならないほどのあらん限りの声で叫ぶ。叫べば誰かが来てくれる、
などという打算があったわけではない。ただ、純粋に魂の奥からわき上がる恐怖を具現
化した叫びだった。
 それに応えるかのように影が動き出す。
「殺される?」
 頭に浮かんだのはただ、その一言だった。いや、既に致命傷は刻み込まれてしまって
いるだろう。死ぬのが数分先か数秒先かの違いに過ぎないのかも知れない。だが、たと
えそうであってもその瞬間までは抗い続ける、それがこの世に生を受けた者の義務だ。
 背中を見せたらその瞬間に全てが終わる。待っていても同じ事だ。唯一にして最善の
行動―誠は前に踏み出し、右拳を影に向かって突き出した。
 だが、所詮素人である誠の拳は当然のごとくあっさりと空を切った。影はそのままス
ピードゆるめずに誠の横を駆け抜けていく。
 慌てて振り向こうとした誠の首筋に刃がぴたりと押しあてられた。
「!」
 言葉を失い、硬直した誠に向かって、影が初めて声をかける。
「ファトラ様、泣いてました。」
 押し殺してはいるが聞き慣れた舌足らずな声。
「アレーレ?アレーレなんか!?」
 声の主に向かって呼びかけると彼女は口元を覆い隠していた布を引き下ろした。いつ
もとは違う、滅多に。いや、今まで見たこともないような険しい表情を浮かべたアレー
レの顔が視界の隅に映った。
「何故や?何故こんな事をするんや、アレーレ?」
「誠様こそファトラ様に何をなさったんです?ファトラ様がお泣きになるなんて余程のことです!」
「ファトラさんやアレーレが菜々美ちゃん達にしてるのと同じ事や。」
「同じ?同じじゃ、同じなんかじゃありません!」
誠の牽制に対し、アレーレはすぐさま反論してきた。首筋に当てられた短刀から、そ
れを持つ手に力がこもった感触が伝わってくる。
「何が違うゆうんや?それに先に挑発してきたんはファトラさんの方やで。」
「なら、何で泣いていたんです!?」
「わからへん。そんなこと、本人に聞いたってや。」
 誠は思ったことをそのまま口にした。当然、それはアレーレの神経を逆撫でしたよう
だった。
「誠様だけは、他の男とは違うと思っていたのに…」
 アレーレの声は少し涙声になっているようだった。首筋の短刀も小刻みに震えている。
さすがにこのままでは衝動的に喉をかき切られかねない雰囲気だった。
「だからって、僕を殺すゆうんか、アレーレ?そんな事しても、いや、そんなことしたった
らファトラさん、元に戻らへんで。」
「元に、ってどういうことです?ファトラ様に何をしたんですか!?」
 アレーレが反射的に問い詰めてくる。
「なんや、知らんかったんか?僕とファトラさんの性格が部分的に入れ替わってるんや。
言うとくけど、ファトラさんのせいやからな。」
「そんな…」
 話の主導権を握ったことを確信し、誠は動揺するアレーレに向かって更に付け加えた。
「僕が死んだらファトラさんはずっとこのまんまやし、怪我させたら、その分作業が遅
れるし、失敗する可能性も増えるんやで。」
「…本当ですか?」
 幾分冷静になった声でアレーレが問いかけてくる。とりあえず喉の心配をしなくて良
くなったようだ。
「ストレルバウ博士に聞いてみれば判るで。」
「………」
 アレーレが真偽のほどを模索するように、しばらく目をのぞき込んでくる。誠もそれ
に対し、まっすぐに見つめ返した。
「…今日の所は警告です。またファトラ様に変なことをしたら元に戻った後、容赦しま
せんからね!」
 アレーレはそういうと、素早く誠から離れ、ドアの所まで後退した。
「それと、これは実戦訓練用のペイント刀ですから、命に別状ないと思いますが、本物
だったらどうなっていたか判ってますね?」
 最後にそう言い残して、アレーレは部屋から姿を消した。
 それを聞いて、初めて誠は自分の体を確認した。確かにシャツは切れていなかったし、
斬られたにしては痛みが鈍かった。恐らく打撲による物だろう。最初の金だらいにしろ、
完全にアレーレにしてやられたわけだ。
「『同じなんかじゃありません』…か。」
 アレーレの言葉を反芻する。
 ファトラならこうするだろうとか、ましてや彼女と同じ行動をとろうと意識している
わけではない。自分は自分の思ったとおりに行動している。自分はファトラでないのだ
から行動が違うのは当然だ。
(自分?)
 そこで、ふと思考が止まる。かつての「自分」。いつもの「自分」。そして今の「自分」

「今の僕は誰なんやろな?」
 それに答えたものがあったとすれば、それは夜の闇だけだった。沈黙という答えを。


 薄暗い部屋。暗いところは好きではない。いや、そもそも屋内は好きではなかった。
もし、一生をこのような、無造作に切り刻まれた細切れのような、世界の破片に押し込
められて過ごすことになったとしたら―それは十分にあり得た―そう考えただけで、背
筋が寒くなる。
 だから。今が戦時中であることに感謝していた。
 戦場では自分の力だけが全てだ。
 初めは外に出たい。ただ。それだけのために戦場に赴いていた。だが、そのことに気
づいてからは闘うこと自体が好きになった。命のやりとりは今、自分が確かに生きてい
ることを実感させてくれる。
 そして何より―何より、戦果を挙げれば父が自分を誉めてくれた。認めてくれた。私
という存在を父に認めさせることが出来た。それが嬉しかった。
 そして、闘うことが私の生き甲斐となった。
「我が、娘よ。」
 呼びかけられて、跪いたまま顔だけを上げる。玉座に肘をついて座している父の姿が
視界に入ってきた。相変わらずのしかめ面でこちらに視線を投げかけてくる。これ以外
の表情を見たことはほとんど記憶にない。せいぜい兄に対して激昂している時くらいし
か父は表情を変えない。こんな所に閉じこもったままだからだ―個人的にはそう思って
いる。あえて口に出して機嫌を損ねる気はなかったが。
 そのまま父の次の言葉を待つ。
「汝の働きは見事なものだ。汝の兄、あの愚か者など比べものにならぬほどに。他の将
軍どもと比べても何ら遜色はない。」
「身に余る光栄でございます。」
 頭を垂れ、儀礼的な返事を返す。父に評価されることは喜ばしい。だが、それを淡々
と語られてはこちらも必要以上の反応をすることに抵抗を感じてしまう。
 それに、兄のことはそれなりに尊敬してもいる。最小限の被害で最大限の成果を上げ
る戦術には脱帽するばかりだった。ただ、一つの作戦にあまりにも時間をかけすぎるこ
とが父の反感を買うようではあった。敵といえども無駄に命を奪いたくない、そんな感
情はこの戦時下に置いては理想を通り越して場違いな幻想に過ぎない。
「だが、それも今日までだ。」
「な!?」
 思いがけない言葉に絶句し、思わず顔を上げる。視界に入ってきたのはいつもと変わ
りがない父の顔。特に重要なことを言ったという雰囲気すらも感じられない。
「何故です?私に何か落ち度がございましたでしょうか!?」
 自分の声が部屋の中で反響する。それほど大きな声を出した覚えはなかったが…動揺
しているのがはっきりと自覚できる。だが、父はあくまで冷たく、冷ややかに次の言葉
を発した。それが当然だと言うように。
「汝を妻に迎え入れたいという者がいる。ヴェルトーサの皇族の一人だ。相手としては
申し分ない。」
 ヴェルトーサ帝国。最強最悪の鬼神として名高いイフリータを筆頭とする無敵の鬼
神群を擁し、更に強力な殲滅兵器を建造中だという噂もあるエルハザード最大の領土を誇
る無敗の帝国。
 政略結婚、いや、妻とは名ばかりの人質となるのは明白であった。逆らうことも出来
ず、幽閉され慰み者にされ続ける一生。目の前が真っ暗になる。この場で殺された方が
遙かにましだ。いっそこの場で自害してしまいたかった。それ以外に拒否する術など無
いのだから。
 しかし、次に父の口から発せられた思いがけない言葉が目の前の闇に一筋の光を差し
込んだ。
「だが、我としても汝を失うのは惜しいと考えている。」
 相変わらずの感情のこもっていない声であったが、今の自分には一縷の望みだった。
だが、それと同時にその希望をうち砕く疑念も浮かんでくる。
「私を差し出さねば、この国が滅ぼされるのではないのですか?」
 それに対する父の答えは簡素で、非情だった。
「その通りだ。」
 一呼吸置いてから更に父は言葉を続ける。
「汝が男ならば、と幾度思ったことか判らぬ。そうであれば我の後継者となりうる全て
の資質を汝は備えているのだから。」
 今更無意味な言葉だ。自分が女であるという事実は変わらないのだから。そう考えて
いた。次の言葉を聞くまでは。
「男になりたくはないか?」


 映像が突然途切れ、視覚が、聴覚が、五感の全てが本来の世界を認識する。あまりに
も突然な感覚の激変に対応しきれず体中の神経が悲鳴を上げた。強烈なめまいと吐き気
を強引にねじ伏せて誠はゆっくりと目を開けた。
「どうしたね?誠君。」
 すかさずストレルバウが問いかけてくる。
「…博士、今、何しました?」
「うむ。この痛んでいる配線を交換してみたのだが。」
 ストレルバウがたった今交換したばかりの痛んだ配線を持ち上げる。
「そこは交換でけへんみたいや。元に戻して下さい。」
「それでは仕方ないのう。」
 言いながらも手早く、新しい部品を古い部品と交換し、元の状態に戻す。熟練した動
きで作業を終えるとストレルバウは手を止めて再び誠に視線を移してきた。
「少し休憩したまえ。断線しないように補強する程度なら動作確認は必要あるまい。」
「それじゃ、少し休ませてもらいます。博士もそれが終わったら少し休んだほうがいいで。」
 そういって作業台から離れようとした誠に、ストレルバウの横にいた小柄な人物が声
を上げた。
「んもう、さっきから全然進んでないじゃないですか!交換したと思ったらまた元に戻
したり、同じとこを何度も何度も交換したり。ホントに直す気あるんですか!」
 誠は出来る限りの不満で顔の筋肉を飾り立て、声の主に振り向き、叩きつけるような
大声で返答した。
「当たり前や!遺物の修理ゆうんはかなりシビアなんや。材質がちょっとでも違うとあ
かんとことか交換すらでけへんとことか。それに調整しながらのシンクロはごっつう疲
れるんやから、くだらんことで呼び止めるんや無いわ!」
 それを受けて彼女はすかさず身を乗り出して食い下がってくる。
「だから手伝ってるんじゃないですか!偉そうなこと言ってる暇があったらさっさと直
して下さい!!」
「誠君もアレーレもそのくらいにしたまえ。」
 ストレルバウが見かねて仲裁に入ってくる。
「アレーレ、進んでないことなどないぞ。儂もファトラ王女の為にこうして必死にやっ
ておるし、誠君だって、元に戻りたくないわけがないではないか。誠君もだ。疲れてい
て、気が立っているのは判るがそう喧嘩腰になることはなかろう。」
「じゃあ、後どのくらいかかるんですか?」
 まだ納得のいかない様子でアレーレがストレルバウに問い返す。ストレルバウは右手
で顎髭に触ろうとして、手が油で汚れている事に気づき、結局腕組みしてからそれに返
答した。
「そうじゃのう。夕方までには何とかなるのではないかと思うのだが…どうかね、誠君?」
「そうやな…もうチェックする箇所も残り少ないし、そんなとこやろな。失敗してもえぇ
いうんなら今すぐでけへんこともないやろが。」
 誠はそこまで言って、ちらりとアレーレに視線を移した。
「だからそんな皮肉を言ってる暇があったらさっさと直して下さいって言ってるでしょう!!」
 誠のあからさまな皮肉に反応してアレーレがそれに食ってかかる。
「やれやれ…じゃな。」
 ウーラの口癖を口にしつつ、ストレルバウは隠そうともせず、大きなため息をついた。

後編に続く)


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