我が城で踊れ潜入者 


第二章 夜の訪問者



「いらっしゃいませー!」
 食堂に明るい声が響く。ここは、ロシュタリア城下に開店した、菜々美の経営する東雲
食堂。まだ、昼前だというのに入り口にはすでに満員御礼の札が下がり、店の外にはかな
りの行列ができている。この店がここまで繁盛する理由は主に二つある。
 一つはもちろんその味。菜々美特製の醤油や味噌で味付けされた料理は、エルハザード
の人々には、正に衝撃的であった。しかも純和食というわけではなく、エルハザード風に
アレンジしてある。加えて、毎週のように新メニューが追加され、客を飽きさせることが
ない。
 もう一つは、菜々美自身の人気だ。客の反応を直に知るために、菜々美は厨房と、ウエ
イトレスを交互に行き来している。昼前のこの時間、菜々美はいつもウエイトレスをして
いた。そして、昼過ぎになると誠にお弁当を届けるために厨房を雇った見習いコックに預
け、王宮に向かう。つまり、昼時で菜々美を見たり、会話したりできるのはこの時間しか
ないことになる。というわけで、菜々美の食堂の客足のピークは他の食堂よりも1時間ほ
ど早かった。そのおかげで他の食堂は潰れずに済んでいるという噂が立つほどだ。
「うん。今日も大繁盛。」
 トレイを片手に菜々美は満面の笑みを浮かべた。ついで、近くの客に声をかける。
「今日の料理のお味はいかがですかぁ?」
「あ、さっぱりしてておいしいです。」
 頬を赤く染めた男が、あまり参考になりそうもない返事をする。
「あっりがとうございまーす。これからもどうぞごひいきに!」
 菜々美が、営業用スマイルで礼を述べる。重要なのはお客様とのコミュニケーションだ。
ついでに参考になる意見が聞けたらラッキー!というのが菜々美の見解だった。
  ふと、外の行列に目を移した菜々美は、その中に見知った顔を見つけた。
「あ、アレーレ、お帰りなさい。」
 窓を開けて手を振る菜々美にアレーレも気づいたようだった。手どころか、右腕を振っ
て答えてくる。
「あ、菜々美お姉さま、ただいま戻りましたぁ。」
「並ばなくても、入り口で声をかけてくれれば良かったのに。」
「でも、並んでる人たちに悪いですし。」
「アレーレ、あんたいい子ねぇ。ファトラさんだったら、有無を言わせず乱入してくるの
に。」
「ファトラ様を悪く言わないで下さい。私がいなくて淋しかったのはわかりますけど。」
 愛しの君の悪口を言われてアレーレが抗議の声を上げる。
「あ、ごめん、ごめん。」
 あわてて菜々美は謝罪した。が、アレーレは止まらない。
「私がいなくて、夜が淋しかったのもわかります。」
「ちょっと?」
「私のテクニックが恋しかったのもわかりますけど。」
「アレーレ?」
「私のこの指が…」
「きゃああああああああぁっ」
 菜々美は窓から飛び出し、皆まで言わせずアレーレを脇に抱え、その場から走り去った。
「菜々美お姉さまったら、ダ・イ・タ・ン。でも、ふたりっきりになれましたね。」
 小脇に抱えたアレーレが場違いなことを言ってくる。
「前言撤回っ!あぁ、恥ずかしくてしばらく店に顔だせないぃー。」 
  顔を真っ赤にしつつ菜々美は、王宮への道をひた走った。


「と、いうわけでぇ、今日、おべんとないの。ごめんね。誠ちゃん。」
「えー、そない殺生な。」
 王族用の控え室で女装した誠が非難の声を上げる。今日も彼はファトラの影武者をルー
ン王女に頼まれて、公務をこなしていたのだ。当のルーンは、謁見に訪れた地方領主達と
の会食のため、ここにはいない。
 誠は、そのような会食の場では緊張して、ろくに食物が喉に通らないし、マナーが気に
なって、味もよくわからないので、いつも何かしらの理由を付けて、会食を抜け出し、こ
の控え室で菜々美の弁当を食べることにしていた。なにより、会食で出される見た目重視
の料理と、菜々美が腕をかけて誠好みの味付けをした特製弁当とどちらかを選べといわれ
て、答えを迷うわけがない。
「ホントに何もないんか?もう、おにぎりでも、何でも腹にたまればええんやけど。」
「今、王室の厨房、会食の調理と給仕で大わらわで、入るなんて、とてもとても。」
 床に突っ伏して涙を流している誠に申し訳なく思いながらも、菜々美は、お手上げのポ
ーズをとった。
「ところで、アレーレがいるってことは、ファトラさんも帰ってきてるんでしょ?何で、
誠ちゃんが女装してるの?」
「王女様に、『ファトラは、疲れているようなので申し訳ありませんが、今日もお願いし
ます』ゆうて頭下げられたら、断れへんやないか。」
 苦笑いを浮かべる誠の眼前に、菜々美が両手で床を叩くようにして身を乗り出してくる。
「そんなの、誠ちゃんだって同じじゃない!ふらふらいなくなるファトラさんの代わりに
立派に公務をこなしてるってのに。王女様、ファトラさんを甘やかしすぎなんじゃないの?」
「そ、そやな…うん。」
 菜々美の勢いに押されて、誠が曖昧な返事をする。
「でしょ?と、言うわけでこんな格好やめて、お昼食べに行こ、誠ちゃん。」
「えぇ?そないなことしたら、王女様に迷惑が…」
「そんなの、さぼってるファトラさんのせいでしょ?それに誠ちゃん、おなか空いてるん
でしょ?迷う必要ないわよ!」
 菜々美はそういいながら、誠の服を脱がしにかかった。
「あぁ、菜々美ちゃん、やめてえな!ダメやって!」
「ふふふ。観念しなさい誠ちゃん!」
 菜々美は完全にノリノリだ。まさしく、至福の時間の中にいた。
「いいことをしておるのう。」
 突然の声の乱入に、菜々美と誠の動きが止まる。しばらく硬直した後ゼンマイ仕掛けの
人形のようにぎこちない動きで、入り口の方に顔を向ける。
「どうした、菜々美?誠を手込めにするのであろう。止めはせぬから、続けるがよい。」
「ファトラ…さん。」
「これは違うんや!」
 菜々美と誠が、口々に弁解する。だが、入り口の横の柱に寄りかかって、何かを食べて
いるファトラは、それをあっさり聞き流した。
「なに、わらわのことは気にせんでよい。何なら、見張りをしてやっても良いぞ。」
 ファトラが心底楽しげな笑みを浮かべる。
「それとも、わらわの部屋で3人で、楽しむか?いや、アレーレも呼んで4人かのう。」
 誠は、あまりの展開に絶句してしまっていたが、菜々美は、理性を総動員し何とかぎり
ぎりで、平常心にハーケンを打ち込んで踏みとどまった。
「ファトラさん、貴女わかっててわざとからかってるんでしょう?!」
 菜々美が、ファトラをびしっと指さして断言する。対するファトラは涼しげな顔で、
「半分は、そうじゃが、半分は本気じゃ。どうじゃ、本当に来ぬか?」
 などとしれっと言ってくる。
「貴女は、公務があるんでしょうが!さっさと誠ちゃんと替わりなさいよ!」
「ふ。腹が減って、気が立っておるようじゃのう。これをやろうか?」
 あくまで、平然とした様子で、ファトラは、左手の包みを菜々美に差し出した。
「何これ?」
「ナハバス名物の『マンボウ焼き』というものじゃ。姉上の大好物でな。尻尾の先まであ
んこが詰まっておって美味じゃぞ。」
 菜々美の疑問を受けて、ファトラが解説する。とりあえず菜々美は、それを一つ、袋か
ら取り出した。そして、しげしげと見つめてみる。
「ちょっと、ちょっと誠ちゃん。これ本当にマンボウよ。」
 菜々美は回れ右をして、『マンボウ焼き』を誠の目の前に突きつけた。
「菜々美ちゃん。そない近づけんかて見えるて。うん、確かにほんまもんのマンボウや。
エルハザードにもマンボウて居てるんやな。」
 それを聞いて、ファトラが興味深そうに問いかけてくる。
「なんと。誠たちのいた世界にもマンボウはおるのか。意外な発見という奴じゃな。」
「えぇ。地球とここじゃ、動物の生態系とかまるで違うとると思とったんやけど、そない
でもないんやな。」
 地球とエルハザードの意外な共通点を見つけて、誠は、少し嬉しかった。菜々美もそれ
は同じだったが、
「それはそれとして、ファトラさん。ちゃんと交代すんのよ。こんなことで誤魔化されな
いんだから。」
 菜々美の乙女心の天秤は、マンボウよりも、誠とのお出かけに傾いていたのだった。
「そなたもしつこいのう。そうじゃな、菜々美、そなたが今晩わらわの部屋に来るという
のなら、考えてやっても良いぞ。」
 ファトラの悩ましげな流し目を、菜々美は真っ正面から叩き落とした。
「何で、そういう話になるのよ!」
「なら、この話はなしじゃ。」
 ファトラが、そういってそっぽを向く。菜々美は、ファトラをにらんで低くうなり声を
あげている。その場に漂う険悪な雰囲気に耐えかねて、誠が口を開いた。
「ほら、菜々美ちゃん。このマンボウ焼きな、中にこんなに仰山あんこが入っとるで。鯛
焼きのマンボウ版てとこやな。菜々美ちゃんも食べてみい。ごっつうまいでぇ。」
「誠ちゃん。」
「はい?」
「そうやって、ずぅっと『いい人』やり続けて、人に振り回され続ける気なの?自由は勝
ち取らなければならないわ!そしてそれは今よ!」
 菜々美は誠に向かって芝居がかった口調で身振り手振りを交えて力説し、最後にファト
ラを指さして断言した。
(この辺が、陣内との血のつながりを感じさせるトコやな。)
 誠は心の中で密かにそう思った。
「で、わらわをこの場で倒す気か?面白い。やってみるが良い。」
 今までそっぽを向いていたファトラが誠達の方に向き直った。そして、口元の笑みを消す。
 ―と、その瞬間その場の空気が、楽器の弦のように張りつめた物に変わる。体を動かし
たら、空気そのものが旋律を奏でそうな程に。誠も菜々美もその場から、一歩どころか指
一本動かせなくなってしまっていた。
「どうした?動かねば、わらわを倒すことなどできぬぞ。」
 ファトラが挑発してくる。だが、誠も菜々美も、先の大戦で神の目上で幻影族の『影の
王子』ガレスと対峙したときですら比べ物にならないほどの、圧倒的なプレッシャーを感
じていた。
(何でこの人、幻影族に囚われたりしたんやろ?)
 その時、誠の頭の中に去来した物は、この場に於いて何の意味もない、そんな素朴な疑
問であった。
(ううう…頑張るのよ、菜々美!目をそらしちゃダメ。そらしたら負けよ!)
 菜々美は今にも挫けてしまいそうな精神力を根性で補強して、気丈にもファトラの目を
にらみ続けた。
 しばらく、その状態が続いていたが、ふと、菜々美の視界の片隅―ファトラの傍らに人
影が現れた。
「にらめっこですか?楽しそうね、ファトラ。」
 とたんにその場の空気から緊張が抜け、代わりにほんわかした雰囲気が広がる。
「だあぁーっ!あ、姉上?!」
 思いっきり不意をつかれたファトラがめちゃくちゃな格好で、力の限り狼狽する。
「王女様、ほんま、いいトコに…」
 緊張から解放されて、誠は胸を撫で下ろした。
「えーん。誠ちゃぁん、怖かったよぉう。」
 最後に菜々美が涙目で誠に抱きついた。
「あら、あら、どうしたのです?」
 一人、状況を把握していないルーンが頬に手を当てて疑問符を浮かべる。
「あ、あはは。姉上、誠と菜々美はこれからデートを致すそうなので、午後からは、わら
わが公務を引継ぎまする。」
 さすがに、先程までの状況をルーンに知られるわけには行かないので、ファトラは涙を
のんで、公務の引継を受け入れた。
「ファトラ、旅の疲れはとれたのですか?」
 ルーンが心配そうに問いかけてくる。
「え、えぇ。公務に支障を来す程ではありませぬ。」
 ファトラは、そこで、誠達の方を振り向き、
「さぁ、どうしたのじゃ?デートなのじゃろう?早く支度して、出かけぬと日が暮れてし
まうぞ。」
 そう言いつつ、二人の背中を押して部屋の外に追い出し、扉を閉める。
(これで、口封じもとりあえずOKじゃな。)
 ファトラは、心の中で安堵のため息をついた。そして、姉の方へ振り向く。
 しかし、ファトラの視界に再び入った彼女の姉は、彼女の予想に反して、機嫌を損ねて
いるようだった。
「ファトラ。」
 いつもと違って、抑揚のない声で、姉が彼女の名前を呼ぶ。額から、冷や汗が吹き出す
のを感じつつ、ファトラは返答した。
「な、何でしょう姉上?」
「あなた、まさか…」
「え?えぇ。」
 愛想笑いなどを浮かべながら、ファトラは後ずさりしようとして、後ろが、扉だったこ
とを思い出した。
「私に内緒で誠殿たちと3人でマンボウ焼きを食べていましたね!」
 冷や汗が頬を伝って、あごの先から流れ落ちるのを感じつつ、ファトラは、状況が自分
が危惧していたのとは、また別の方向に悪化しているのを悟った。
「あぁ、誠と菜々美が食べたことがないと申す物で、一つずつ渡したのです。姉上には、
全長1mの特注の品が、明日届く手筈となっておりますので…」
「私は今日、食べたいのです。」
 ファトラの言い訳を、ルーンが頬を膨らませながら、遮る。
「いや、そんなことを申されましても、かついでくるわけにもいきませんし。」
「3人だけで食べるなんて…」
 ルーンは、ファトラの言い訳を完全に無視した。こうなってしまっては、何を言っても
無駄なことは十七年間、妹をやってきて充分身にしみている。
「そ、そうだ。確かわらわの部屋にもう一袋ありました。」
 言うが早いか、ファトラは、部屋から飛び出した。無論、すでに配り終えたマンボウ焼
きを回収するために。


 誠が自分の部屋に戻れたのは、日が暮れてから、ずいぶん経った頃だった。つい今し方
まで、菜々美と一緒だったのだ。
 二人でお昼を食べに行くだけのはずだったのだが、ファトラの一言のおかげで、昼食の
後、ウィンドウショッピング、舞台劇鑑賞、最後にディナーと言う具合に、完全にデート
になってしまったのだ。
「菜々美ちゃんと二人きりで、こないたくさん歩いたりしゃべったりしたのもひさしぶり
やな。でも、ちょっと疲れたわ。」
 と、言うわけで誠はもう、寝ることにした。シャワーと歯磨きは、すでに済ませてある
ので、後はもう、ベッドに倒れ込むだけだ。
「あれ?」
 ベッドに倒れ込もうとして、誠は、自分のベッドの毛布が、盛り上がっていることに気
づいた。
「センセ、また部屋間違うて…しゃーないなぁ。」
 藤沢の部屋は隣なのだが、彼は酔っ払って、部屋を間違えることが度々あった。二人の
部屋は、元々侍従部屋の余り部屋だったこともあって、間取り等は全て同じであるし、私
物のたぐいも明かりを灯さなければ、確認し辛い。間違えても無理はないかもしれない。
 藤沢をこのままにして、誠が彼の部屋で寝るというのは却下だ。なぜなら、藤沢の部屋
は、すでに酒と煙草のにおいが染みついており、誠は前にそれをやったときに最悪の気分
の朝を迎えた経験があるのだ。
「センセ、起きて下さい!ここは、僕の部屋よって。」
 誠は、有無を言わせずに毛布をひっぺがえした。乱暴ではあるが、こうでもしないと藤
沢は起きてくれない。
 それに併せて、ベッドに寝ている人物の透き通るように白くて、柔らかそうな肌がぷる
んと揺れる。
(白…柔らかそう?…ぷるん!?)
 誠は、今、自分が認識したことを心の中で反芻した。
 ベッドに寝ていたのは、藤沢ではなかった。誠の目の前で一糸纏わぬ姿で(いや、毛布
を纏っていたのを強引にひっぺがえしたのだが)寝息を立てているのは、自分と瓜二つの
顔を持った女性―服を着ていれば外見さえも瓜二つなのだが、今は、男と女という決定的
な部分で差異が生じている―ファトラだった。
「うわわわわぁっ!」
 今まで、状況を認識できずに硬直していた誠の体は、自分の声によってその硬直を解か
れた。一歩、二歩後ずさりしたところで、足がもつれて、尻餅をつく。
 ここで、ファトラが、うっすらと目を開けた。さすがにこれだけ騒がれれば、寝てろと
いうのが無理な話だ。二、三度瞬きをした後、ファトラはゆっくりと上体を起こした。
「おぉ。誠、遅かったではないか。待ちくたびれて、思わず寝てしまったぞ。」
 まだ、寝ぼけ眼のファトラが誠に話しかけてくる。そして、毛布を胸元まで引き上げよ
うとして、毛布がないことに気づいたようだった。
「………。」
 毛布を探して、しばし、ファトラの視線が辺りを彷徨い、誠の右手で止まる。  
  その視線によって、誠は、あわてていて、毛布を右手に握ったままだったことの気づいた。
「こ、これは、違うんや!」
「言い訳は、いらん。」
 身を乗り出して、弁明しようとした誠を、ファトラはぴしゃりと遮った。ただし、口調
はそれほど厳しくはない。
「そなたが男、というだけで理由は十分ではないか。それ以上の言葉など、無粋なだけじゃ。」
「せやから、違うんや。」
 なお、弁明しようとする誠を、ファトラは軽く睨み付けた。そして誠が、息をのんだ隙
に、言い含めるように語りだした。
「そなたにそのつもりがあろうとなかろうと、わらわが、そなたの目の前で肢体を露わに
しておるという事実は変わらぬ。そして、これが、そなたが行った行動の結果じゃという
こともな。もちろん、そなただけのせいではない。そなたの部屋で寝ていたという、わら
わの行動の結果でもある。  そして、物事という物は、結果が全てなのじゃ。悲しいこと
じゃが、経過など、何の意味もない。あったら、どれほど良い物かしらんが、事実として
ないのじゃ。結果として、わらわはこのような無防備な姿を、男であるそなたの前に晒し
ておる。わらわの行動の結果でもあるのじゃから、この場でそなたに犯されたとしても文
句や泣き言を言う気など更々ない。」
「そんな。僕はそないなことせえへん。それに、ファトラさんは僕より強いやないですか。」
 ほとんど、あら探しのような心境で 誠が反論する。が、
「女は、男よりも弱いものなのじゃ。力の強い弱いなどと言う、単純なことではなく、な。
詭弁だと思うやもしれぬが、歴史や慣習がそれを証明しておる。わらわとて例外ではない。」
 そこで、ファトラは自嘲気味に笑って見せた。
「…どうした、もう反論はせぬのか?」
 誠が黙ったままなので、ファトラは、発言を促してみた。
「え?、いや、女性至上主義者のファトラさんが、そないなこと言うや何て、意外やなぁ
と思て。」
 誠の言葉を聞いて、ファトラの体がびくんと揺れる。そして、数秒後には、額に手を当
てて、突然笑い出し始めた。
 もちろん誠には、訳が分からなかった。
「あの、僕、なんか変なこと言いました?」
 恐る恐る、誠が聞いてくる。
「くはは、は、は…いや、すまん、すまん。どうやら、寝ぼけて、寝言をほざいておった
ようじゃ。先程言ったことは、忘れてくれ。」
 ファトラは、すっかりいつもの調子に戻っていた。が、誠には今のファトラが、どこに
でもいる、か弱い普通の女の子に見えた。
「そなたの言う通りじゃ。たとえ、襲われたとしても、そなた程度、逆にねじ伏せること
など造作もない。」
 ファトラは、先程の反論への答えを言い直した。だが、今となっては、それも必死に強
がっているように聞こえる。
 そんな、誠の心証の変化など、お構いなしに、ファトラは言葉を続けた。
「が、ここはそなたの部屋―そなたが自由に振る舞って良い世界じゃ。わらわを抱きたい
のであろう?我慢することはない。抵抗などという無粋なことはせん故、安心してこちら
へ来るが良い。」
「僕は、そんな気あらへん。せやから、服着たって下さい。ちゃんと、別の用があるんで
しょう?そないなかっこのままじゃ話しづらいよって。」
 誠は、毅然とした態度で、ファトラの誘いを断った。そうしなければ、押し切られそう
だったからだ。
「女が、一糸纏わぬ姿で自分のベッドにおるのだぞ?口説き落とす手間も、ベッドに運ぶ
労力も、服を脱がす煩わしさ―まぁ、これは、好みの問題だが―すらない。男にとって、
これ以上のシチュエーションなぞ望むべくもあるまい。正に据え膳という奴じゃ。もった
いないと思わぬのか?」
 艶っぽい視線を投げかけながら、なおもファトラが、誘いをかけてくる。
「僕は、安易な状況に流されて、そないなこと、しとうないんや。」
「我慢は体に毒だぞ?」
 ファトラの視線が、誠の下半身に移る。それに気づいて、誠はあわててそれを隠した。
「ここは、僕の部屋なんや、我慢するのも僕の自由やないですか。他に用がないんなら、
帰って下さい!」
 恥ずかしさの余り、誠は、口調を荒らげた。それと同時に先程、即興で作り上げた、
『毅然とした態度』という仮面が砕け散る。
「ウブな奴じゃな。そのようなことで動揺しておるようでは、まだまだ修行が足りんわ。」
 満足げな表情で、ファトラは笑みを浮かべた。
「まぁ、わらわも追い出されたくはないのでな。そろそろ本題に入ってやろう。」
「へ?」
 突然のファトラの変わり身に対応できず、誠が素っ頓狂な声を上げる。
「じゃから、お主の望み通り、ここに来た用件を話してやろうというのじゃ。」
「はぁ。お願いします。」
 誠は、完全に拍子抜けしてしまった。さっき、あともう一押しされていたら、自分は、
ファトラを抱いていたかもしれない―そんな危機感と、焦燥感、そして、押さえ込んでい
た男の本能が、栓を抜かれた浮き輪のように急速に萎えていくのを誠は感じていた。
 誠がそんな思いに耽っている間に、ファトラは、寝間着を着込み、奇妙な形状の物体を
手にしていた。
「これを見よ。」
 ファトラは、そう言って、その物体を水平に差し出した。ファトラは、ベッドの上にあ
ぐらをかいたままなので、それをよく見るために、誠は立ち上がり、それに顔を近づけた。
 厚さ2o、幅2p程の金属板が、2枚平行に並び、8の字を描いている。ただし、単純
な8の字ではなく、途中で金属板を半回転分ねじってある。つまりメビウスリングにして
あるわけだ。そして、そのメビウスリングの長辺方向の頂点には、それぞれ、握り拳ほど
の大きさの卵形をした物体が取り付けられていた。その部分を含めた、全体の長さは30
pほど―ファトラの持っている物体は、おおむねそのような外見をしていた。
「何なんです、これ?」
 誠が、興味深げな表情で、質問する。
「旅の帰路で拾ったのじゃ。何であるのかは、わらわにもわからぬ。」
「ストレルバウ博士やったら、わかるんやないですかね?」
 ファトラの答えに誠が、常識的な返答を返す。だが、その返答に対しファトラは眉をひ
そめた。
「それでは、あやつに取り上げられて、数ヶ月ほどいじり回されたあげく、論文発表して、
お蔵入り、というのが関の山じゃ。実につまらぬ。」
「『つまらぬ』て言われても…じゃあ、どないするんです?」
 といいつつも。嫌な予感を覚えて、誠は愛想笑いを浮かべた。
「無論、手軽に正体を判別できて、面白い物ならば、最小限のリスクで私物化できる方法
を使うのじゃ。」
 その時、誠の脳裏に浮かんだのは、地下迷宮の出口付近で適当な名前を付けられて、野
宿している、司教の哀愁漂う後ろ姿だったりしたのだが、それはとりあえず置いておいて。
「さぁ、誠。シンクロしてみるのじゃ!」
「あぁっ、やっぱり、そうなんやぁーっ」
 ファトラの断言に、誠は、絶叫で答えた。そんな誠に、ファトラは、身を乗り出して詰
め寄った。
「ええいっ、何でも良いから、早くせぬかっ!」
「そんなこと言うたかて、もし危険な物やったらどうするんや?!」 
 消極的な誠に、ファトラがなおも詰め寄る。
「失敗を恐れて、先に進めるか!」
「それって、理屈通ってるよに聞こえますけど、えろう無責任な発言なんじゃ?」
「もったいぶっとらんで、さっさとやれ!」
 ついに切れたファトラが誠の腕をつかんだ。そして、無理矢理、物体に触らせる。
 その瞬間、誠の視界は純白の光で満たされた。そして、頭の中にイメージが浮かび上がっ
てくる。
「王宮…優しい王子…勇敢な王女…戦争…交換…悲劇?…」
 そこでイメージが途切れ、誠は現実に引き戻された。そして、目の前で起こっている現
実の状況に愕然とする。
 物体が、放電を始めていた。細かな電流が、誠とファトラの体にまとわりつき、所々で
プラズマを発生させている。
「あかん、暴走しとるわ!」
「何じゃとぅ?早う何とかせぬか!」
 誠は、あわてて手を離そうとしたが、まるでその物体全体が吸盤になってしまったかの
ように、手に吸い付いてしまっていて、離すことができなかった。そして、それはファト
ラも同じのようであった。
 ならば、コントロールして止めるしかない―誠は、目を瞑り、精神を集中させた。誠の
精神状態は、シンクロの成否に多大な影響を及ぼす。だから、誠は神官の行う精神鍛錬法
を教わって、暇なときに実践もしていた。しかし所詮、まだ日が浅いこともあり、先程ま
でのファトラとのやりとりで千々に乱れていた誠の精神は、今一歩まとまりを欠いた。
「ダメやぁっ!」
 その誠の叫びを合図としたかのように、放電が激しさを増した。そして意識がだんだん
と薄れていく。
「放電のせいだけやない…何か別の力で…」
 誠とファトラは、ほぼ同時に意識を失った。

「ん…」
 ファトラは、ベッドの上で意識を取り戻した。なんだか、体が重い。妙に重い掛け布団
のせいかもしれない。まるで、手足を押さえつけられているかのようだ。だが、それにし
ては、肌に風の流れを感じる。訝しげに思いながら、ゆっくりと目を開ける。
 目の前に自分の顔があった。
「?」
 現状を把握するために、ファトラは、寝たまま、視線だけで自分の体を観察してみた。
 両腕は、中途半端な万歳をしているような状態で、ベッドに押さえつけられている。
 寝間着の前は、はだけていて、自分で言うのも何だが、絶妙な曲線を描いた、形の整っ
た白くて柔らかい胸が露わになっていた。
 下の寝間着も、腰紐がほどけている。
 太股の間には、自分に覆い被さっている人物の右足が、割り込んでいる。
 そして、目の前には、自分と瓜二つの、その人物―誠の顔があった。
 何をしている、などと聞くのも馬鹿馬鹿しくなるような、そんな状況だ。
(誠が、この様なことをしてくるとは…少々からかい過ぎたか。だが、気を失っているの
に乗じて、というのが気にいらん。こういう無粋な振る舞いには、断固として鉄槌を下さ
ねばならんのぉ。)
 ファトラは、誠をはねのけようとしたが、腕を振りほどくことさえできなかった。
(そんな馬鹿な?体に力が入らぬ!?)
 そこで、ファトラは、自分の頬に熱い物が伝っているのを感じた。
(涙じゃと?このくらいのことで…)
 よく考えてみると、体も小刻みにふるえている。
(怯えておるのか、わらわは。恐怖で身がすくみ、力さえ出せぬ程に。)
 その事実に気づき、ファトラは愕然とした。
(きっと今、誠の目には、怯えきった表情のわらわが映っておるのだろう。無様だな。
普段あれほど強気な態度をとっておきながら、いざとなったら、抵抗一つできぬのか。)
 そんなことを考えている内にますます視界が涙で曇っていく。
(自業自得じゃ。自分の力量を過信し、無用な挑発をしたのはわらわなのだからな。相手
が誠であっただけでも良しとしよう。)
 状況を受け入れる決意を固めたファトラの唇に誠の唇が、ゆっくりと近づいていった。

第3章に続く

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