血戦!バレンタイン

(当日編)


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 14日早朝。まだ、あたりは薄暗い。しかし、誠の下駄箱からは既にチョコがあふれていた。
いや、正確に言うならば、下駄箱に入りきらなかったチョコが壁となって下駄箱の前にそそり
立っていた。
 ちなみに誠の上履きは床に無造作に落ちている。チョコを入れるのに邪魔だったからだろう。
 そのチョコの壁の前に人影が現れた。その人影はあたりを一通り見回した後、壁から箱の
一つを手に取った。そして、その箱のリボンを解き、ふたを開け…た瞬間あたりは閃光に包ま
れた。
『こちらルビー。トラップNO.3、ショコラ・ボム作動確認!直ちに状況確認に向かいます!』
『こちらエメラルド。了解。遺体は必ず回収すること。以上。』
 といった無線交信の後、がれきの山と化した下駄箱周辺に迷彩服に身を包んだ男が現れた。
ヘルメットとゴーグル、そしてマスクのために顔は解らない。物陰に身を隠しながら、必死に
隠密行動を行っているようだったが、着ている迷彩服が何故か鮮やかな赤を基調としているため、
その全ての行動は全くの無意味だった。特に灰色を基調としたコンクリートのがれきの中では。
 ルビーと名乗るその男は周囲をざっと見回し、目ざとくがれきに埋もれている人間を発見した。
素早く、そこに近寄りがれきをどかす。そしてうつぶせになって倒れている男の顔を確認するために
その肩に手をかけ、反転させた。
 その顔を確認した瞬間、ルビーの体が怒りに震えた。隠密行動中であることも忘れて、叫び声を
上げる。
「水原誠じゃない!こんな、ネズミに我が傑作・ショコラボムが浪費されるとは!」
「ゴキブリが人をネズミ呼ばわりとは笑っちゃうね。」
「!、何奴!!」
 突然の背後からの声にルビーは素早くその場から飛び退き、戦闘態勢をとった。すぐさま、
相手を視認する。
「貴様はカーリア!何故ここに!?」
 対するカーリアは構えもとらず、自然体で立っていた。見下したような笑みを浮かべながら。
「そりゃ、もちろん、害虫退治さ。」
「貴様は水原とは何の関係も無かろう!何故、我らの邪魔をする!?」
 カーリアは、ふっと笑ってから、返答した。
「面白そうだから。それにお前らをどう料理しようと、生徒会は一切関知しないらしいよ。例えば、
外科手術同好会に生体実験体として売り飛ばそうともね。」
 それをきいてルビーの全身に悪寒が走った。そんなことをされたら五体満足で再び日の目は
見られないだろう。しかも、相手はあのカーリアである。降参したところで結果は同じであることは
明白だった。もはや闘って勝つしか生き残る道はない。
 そう決断したルビーはベルトに下げている手榴弾の一つをカーリアに投げつけた。
 カーリアはそれを横に飛ぶことでかわす。だが、手榴弾はカーリアのいた場所より、かなり手前で
閃光を発した。一瞬、世界の全てが白一色に染まる。閃光手榴弾―相手の視力を奪うことを目的と
した兵器だ。これは目をつぶったくらいでは防げない。自分のように特殊なゴーグルをしていない
限り。
 いくらカーリアといえども視力を奪われては、自分の攻撃を防げないだろう。
 ルビーは勝利を確信して、カーリアとの間合いを一気に詰め、そして、体力の続く限り連打を叩き
込んだ。
 だが、それにも関わらずカーリアは倒れなかった。驚愕し、思わず後ずさったルビーに対し、
彼女は凄惨な笑みを浮かべた。
 驚異的なことに目の方も、薄目を開けられるくらいに回復しているようだ。
「残念だったね。あんたの打撃は私を倒せるほどの重さも急所に的確にヒットさせる正確性もない。」
 そう言ってカーリアはゆっくりと歩を進め、そして自らの血に染まっている拳を振り上げた。一方、
ルビーは先程の連打の疲労で動くことが出来なかった。
 拳が振り下ろされる瞬間、彼は視力を奪った時点で逃げるべきだったと後悔したのだった。


 それから数時間後、誠はいつも通りに登校してきた。すぐに下駄箱が崩壊していることに
気づいたが、
「なんや、下駄箱壊れてしもうたんか。」
 という、あまりにも軽い感想をつぶやいた後、がれきの中から上履きを発掘して、教室に
向かった。(ちなみに何故か下駄箱周辺にチョコは一枚も残っていなかった。)
 教室に入るなり、誠は、教室の景観がいつもと違うことに気づいた。柱が一本増えている。
しかも、教室の真ん中に。更に正確に言うのならその柱は誠の机のあった場所に立っていた。
「なんや、いつの間にこないな工事したんや?でもこないなとこに柱、立ってたら邪魔や思うけど?」
 疑問に思いながら、その柱に近づいて観察してみる。それは、それぞれ異なる色、異なる大きさの
ブロックで構築されていた。
「なんや、これ、チョコレートやないか。そういや、今日はバレンタインデーやったな。嬉しいけど、
こんなぎょうさん食べ切れへんで。」
 色とりどりのチョコの箱で形成されたその柱を前に誠は笑顔でそんな感想を臆面もなく述べた。
 その瞬間、誠を凝視していた級友達の羨望や敵意に満ちた視線が一様に殺意を帯びたのは
当然といえよう。
「誠、授業の邪魔だ!早く片づけろ!!」
「そうだ、見せびらかしてんじゃねぇ!」
「その通りだ!この女ったらし!!」
「このチョコ成金!」
「マッドサイエンティスト!」
「女装王!」
「変態!」
 級友の不満が一気に誠に向かって爆発した。その爆心地で誠は困ったような笑みをうかべている。
「そないなこと言われても…」
 その態度が、更に級友達の神経を逆撫でする。
「ええい、こんな物、こうすりゃいいんだ!」
 切れた級友の一人が誠が制止する暇すら与えず、チョコの箱の一つを柱から無造作に引き抜いた。
「あぁ、そないなことしたら!」
「何?」
 その級友の疑問の答えはすぐに出た。いや、実現された。箱が抜けたところから、柱が崩壊し始め、
逃げる間もなく、教室の中にいた全ての人間は、チョコの雪崩に押し流される事となったのだった。
「あぁ、なんてお約束な展開なんやぁぁぁーっ!!」
 チョコの雪崩はそんな誠の絶叫さえ飲み込んでいった。


 そんなこんなで昼休み。誠はいつも通り、科学部の部室に向かっていた。
「今日の実験は…」
 科学部室まで後一つという教室の前にさしかかったとき、誠の背後で、突然その教室のドアが
音を立てて開いた。
「な、なんや!?」
 この教室は空き教室の筈である。どこかの部が越してきたという話も聞かない。逃げるべきだ。
 瞬時にそう判断して、誠は走りだそうとした。しかし、その一歩を踏み出す前に襟首を捕まれ、
その教室に引っ張り込まれてしまった。勢い余って、床に倒れ込む。床にたまっていた埃が宙に
舞った。
 一方、誠を引っ張り込んだ方の人物は、いそいそとドアの鍵をかけていた。
「な、何するんや…?」
 埃が目に入ってしまい、涙目になりながら、誠は声を上げた。その問いにドアの前にいる小柄な
人影が頭を掻きながら答えてくる。
「わりい、わりい。ちょっと急いでたもんだからよ。」
 大して悪びれた様子もなく、赤毛をバンダナでまとめた少女が笑いかけてきた。
「シェーラさんやないですか。なんでこないなとこに?」
「こうでもしないと菜々美の奴が…」
「え?」
 視線を逸らして、もごもごつぶやいているシェーラに誠が疑問の声を上げる。それに対して、
シェーラは慌てたように声を張り上げた。
「な、何でもねえよ。そんな細けえこと、男がいちいち気にすんじゃねぇ!」
「す、すいません。でも、シェーラさん。一体何の用なんですか?」
 シェーラの剣幕に押されて、愛想笑いを浮かべながら誠は問い直した。
「え、いや、その、なんだ。これをおめえに、と思ってよ。」
 さっきまでの勢いは何処に行ってしまったのか、シェーラが突然顔を紅潮させる。そして、
おずおずと手に持っていた箱を差し出してきた。
「これは…?あぁ、バレンタインチョコやね。ありがとう、シェーラさん。」
 誠は、それを受け取ると、とびきりの笑顔をシェーラに向けた。それを見て、シェーラの顔が
ますます赤くなる。
「お、おう。開けてみてくれよ。」
「じゃあ、お言葉に甘えて。」
 シェーラの言葉に従って、誠はチョコのラッピングを解いた。そして、箱を開け、そして、硬直した。
「あの、シェーラさん。これは…?」
 その誠の問いに対し、シェーラは得意げに説明を始めた。
「へへ。腕によりをかけて、あたいが作った、正真正銘の手作りだぜ!」
「これは…なんて言う物なんです?」
 それに対し、冷や汗をたらしながら、誠は問い直した。シェーラがそれに『何だ?』と言う顔で答える。
「焼きチョコを知らねえのか誠?フライパンに油を引いて、チョコを型ん中に入れて焼いた奴よ!」
 確かに箱の中にはハートの形をした物体がはいっていた。ただし、真っ黒に焦げていて、元が
なんなのか全く解らない。どうするべきか悩んでいる誠をシェーラが期待を込めた瞳で見上げてきて
いる。
「あ、ありがたく頂くで。シェーラさん…」
 間違いを指摘するわけにもいかず、誠は意を決してその「焼きチョコ」を口に入れた。口の中に苦い、
香ばしいを通り越して、ただただ苦い味が広がっていく。もちろんとろける事もない。かみ砕いて飲み
込むしかないのだ。更に飲み込むとき、のどにひっかっかって痛かった。
「お、おいしかったで、シェーラさん…」
 誠は涙を浮かべながら、シェーラにそう答えた。口の中も喉もいがらっぽいのを必死に我慢する。
 それを見て、シェーラは完全に勘違いし、満面の笑みを浮かべた。
「なんでい、涙が出るほど美味かったのかよ、誠。作った甲斐が有ったってもんだぜ!」
 照れ隠しなのか、誠の背中をバンバン叩いてくる。せき込みそうなのを必死にこらえている誠には
苦痛以外の何者でもなかったが。
「それじゃ、実験の準備をせなならんからこの辺で…」
「あ、待てよ誠。」
 いとまごいをしようとした誠をシェーラが止める。振り返るとシェーラがもじもじと体を動かしていた。
「まだ、何かあるんですか、シェーラさん?」
「あのよう、今日は部活なんか止めて、あたいと…」
 その次の言葉がシェーラの口から発せられる前に突然、入り口のドアが轟音と共に吹き飛んだ。
「な、なんや?」
「誰でい!?」
 爆発に驚いてしりもちをついている誠と、どんな事態でもすぐ対処できるように構えをとった
シェーラが入り口を凝視する。ややあって、もうもうと立ち上る爆煙の中から、ゆっくりと人影が
現れた。
「何処にもいないと思ったら、こんなとこで何してんのよ!?」
「菜々美ちゃん?」
「菜々美…」
 聞き覚えのある声に誠とシェーラは確認の声を上げた。それを受け、菜々美が低い声で答えてくる。
「そうよ。誠ちゃん、シェーラ。」
 煙が晴れて、菜々美の全身がはっきりと視認出来るようになって、誠は驚愕した。
「菜々美ちゃん、そのかっこ、どないしたんや?」
 菜々美は右手に塩ビパイプを持っていた。よく見ると取っ手と引き金がついている。多分これで
この教室の扉を吹き飛ばしたのだろう。そして、菜々美の制服はボロボロで所々焦げていた。
「誠ちゃん、教室にいなかったから、多分部室だろうとは思ったけど、途中で会えるかもと思って
立ち寄りそうな場所を見て回ってたんだけど、何故か、そのことごとくにトラップが仕掛けてあってね。」
 菜々美が憎々しげに答えてくる。
「で、やっとの思いでここに来たら、この教室から声が聞こえてきたわけよ。」
 そこで、菜々美はシェーラをきっと見据えた。
「で、シェーラ。こんなとこで何してるのかしら。」
「そんなこと、おめえには関係ねえだろ!」
 シェーラがさっと目をそらす。だが、菜々美は更に詰め寄った。
「抜け駆けしようとしたわね。全く油断も隙もありゃしない。」
「だから、んなこと、関係ねえだろうが!」
 ジト目で問いつめてくる菜々美をシェーラは力任せに振り払った。虚をつかれて、菜々美が転倒する。
「菜々美ちゃん、大丈夫?」
 誠がすぐさま、菜々美を助け起こす。
「うん。ありがとう、誠ちゃん。」
 菜々美は転倒した時に打ったらしい腰をさすってはいたが、とりあえず大丈夫そうだったで、
誠はシェーラに視線を移した。
「シェーラさん、乱暴はいかんで。」
 誠のその言葉にシェーラは大きなショックを受けたようだった。二、三歩後ずさった後、
「誠のばっきゃろー!!」 というお決まりの台詞を残し、シェーラは破壊されたドアの残骸を越え、
走り去っていった。
「シェーラさんっ!」
 誠はシェーラを追いかけようとしたが、菜々美が制服の袖をつかみ、それを止めた。
「いいのよ、ほっとけば。それより、おなか空いてるでしょ、誠ちゃん。はい。」
 菜々美はそう言って、弁当箱を差し出してきた。
「でも…」
 誠は、反論しかけて、すぐ言葉を止めた。いや、振り向いた途端に自分を見上げている菜々美と
視線があって言葉が出なくなってしまった。
 いつもと違って菜々美の目が潤んでいた。その目が『行かないで』と訴えかけてくる。
 誠にはそれを無視してシェーラを追いかけることなど出来なかった。もっとも、それが出来たなら、
こんなシチュエーションに陥ること自体、無いのであろうが。
「…確かに腹が減っては戦はでけへんな。」
 誠は観念して、弁当箱を受け取った。途端に菜々美の顔がほころぶ。
「今日は腕によりをかけたのよ。開けてみて☆」
 菜々美に促されて、誠はそのふたを開けた。今まで閉じこめられていた、料理の香しい香りが
あたりに広がっていく。そして、その香りを生み出している料理そのものも美しく盛りつけられている。
「菜々美ちゃん、凄いで、これ。で、幾らなんや?」
「今日はバレンタインだもん。お金はいらないわ。」
 誠の質問に菜々美が笑顔で答えてきた。思わぬ言葉に、誠も満面の笑みを浮かべて答える。
「ほんま?ありがとう、菜々美ちゃん!」
 誠は早速、料理に箸をつけた。おかずの肉団子のあんかけの一つを口に入れた途端、誠の全身に
衝撃が走る。
「箸で摘んでも型くずれせんかったのに、口の中に入れた途端、とろけるように身がほぐれて、肉汁と
あんが絶妙のハーモニーを奏でつつ、口の中で踊っているで。美味い、美味いで菜々美ちゃん!」
 誠はそんな調子で料理を口に入れる毎に感動して絶賛した。いつもの弁当もおいしいが、今日の
弁当は更に輪をかけて美味だ。バレンタインと言うことでたっぷりと愛情が入っているからだろうか?
 菜々美は、そんな誠を優しく微笑みながら見つめていた。二人の周りに優しい柔らかな空気が
形成されている。『愛フィールド』とまでは行かないが、それに似た、二人の世界だった。


 そのころ、エメラルドは、かなりの焦りを感じていた。彼を除く仲間達は既に生徒会実力執行部隊と
外科手術同好会の改造人間、そして、カーリアによって、ある者は捕縛され、ある者は行方不明だ。
彼らの残してくれたトラップの数々も呪術研究会の妖しげな秘術によって、次々に位置を特定され、
解除されていき、運良く残っているトラップにも誠はかかってくれない。そして、彼自身も迂闊に動け
なくなっていた。
 生徒会の包囲網が徐々に彼を追いつめているのだ。本拠地は既に制圧され、手持ちの武器も、
もう残り少ない。そして、はっきり確信できる事が一つ。生徒会長のマザクは、自分を使って遊んで
いる! きっと、先日からの自分たちとの鼬ごっこでストレスが限界に達していたのだろう。生徒会の
追撃には全く容赦がなく、そして無駄がなかった。本拠地を制圧する前までは。だが、今では詰めの
甘さが目立つ。自分がまだ捕縛されていないのもそのおかげだ。しかし、その甘さは疲れなどによる
ものではなく、わざと作られた隙のようだった。その証拠にその場、その場は乗り切れても包囲網
そのものを突破することがどうしても出来ない。残りが自分一人と知って、余裕が出来たのだろう。
自分をいたぶって楽しんでいるのだ。
 冗談じゃない!学園の女生徒をたぶらかしまくっている極悪人・水原誠はのうのうと保護されていて、
それに天誅を下すべく決起した自分は、いまや逃亡者…こんな理不尽なことがあるか!!
 それがエメラルドの今の心境だった。せめて、水原と差し違えてやりたいが、そのためには、
この包囲網を突破しなければならない。
「あの…」
「!」
 突然背後から声をかけられて、エメラルドは、前方に身を投げ出して、前転した。ある程度距離を
とってから背後に向き直る。
「何奴!」
 その声に、先程の声の主―お下げの女生徒だった―がびくりと体を揺らす。
 警戒を解かずにじっと凝視していると、その女生徒がおずおずと何かを差し出してきた。それを見て、
エメラルドは我が目を疑った。思わず、声がうわずる。
「チョコレイト?俺にくれるのか!?」
 その問いに女生徒がこくんとうなずくのを見て、彼の目に涙が浮かぶ。生きていて良かった。
そう思いつつ、一歩、一歩近づいていく。それに呼応して、彼女がチョコの包装を解く。中からハート型の
チョコが現れた。
 エメラルドが目の前まで来ると、彼女は彼の口の前にチョコを掲げた。食べてくれと言うことだろう。
何の疑問も持たずに一口かじる。その途端、彼の視界は暗転した。
 女生徒はそれを見ても表情一つ変えなかった。ただ一言だけつぶやく。
「被験体が大漁で幸せ…」


 そして、ついに放課後。マザクは生徒会室から校庭を見下ろし、清々しい笑みを浮かべていた。
この異常事態からやっとの事で解放されるのだ。この開放感は何物にも代え難い。
「諸君、ご苦労だった。皆の労をねぎらう意味も込めて、今日は、ぱーと騒ぐぞ!」
 マザクの言葉に、その場にいた役員が歓声を上げる。口々にカラオケしようとか、シェー○ーズに
行こうとか提案をしあう。苦難の道を乗り越えて、やっと手に入れた平和だった。
 と、その時、入り口のドアがけたたましい音を立てて開いた。マザクを含む全員が、入り口に注目
する。
 入り口には、顔を蒼白にして、役員の一人が立っていた。余程、急いで走ってきたのだろう。必死に
息を整えている。
「どうしたんだ、一体?」
 マザクは、その役員が、落ち着くのを待ってから問いかけた。それを受けて、彼女は恐るべき事実を
報告する。
「陣内克彦が逃走しました!!」
「何だとぉーっ!!」
 マザク達の、そして誠の受難はまだまだ続く…


「はぁー、やっと終わったわ。さて、部活や。」 誠は科学部の部室に、にこにこしながら向かっていた。
結局、昼休みは部室に行けなかった。菜々美の弁当を食べ終わってすぐ、シェーラを探していたから
だ。部室に行くのは今日、初めてだった。
 誠の手にしている鞄はパンパンに膨れていた。背中のリュックも同様だ。それだけでなく台車まで
引いている。言うまでもなく、それは全て、チョコレートに満たされていた。もちろん生半可な重さでは
ない。だが、誠はそれらを自らの手で、今日持って帰るのが義務だと思っていた。
 やっとの事で、部室のある棟にたどり着こうというとき、背後から突然、聞き慣れたアレな笑い声が
響いてきた。
「ふふふ、くははは、ひゃーっひゃっひゃっひゃ!見つけたぞ、水原、誠!!」
「陣内?なんや、今日は休みやなかったんか?」
 誠は、陣内に振り向き、そして、その姿を見て眉をひそめた。
「陣内、お前、なんて格好してるんや?」
 陣内は上半身裸だった。何故か、ネクタイだけはしっかりとつけていたが。露出している肌に生々
しい傷や、痣が見て取れる。ズボンもボロボロだ。たった今まで、熊かライオンとでも闘ってきたような
有様だった。
 それより、もっと目に引くのは両肩についている、パラボナアンテナのような物だ。そこから伸びる
コードは、背中に背負っているバッテリーパックとおぼしき物につながっている。
 誠の言葉を受けて、陣内は憎々しげに言葉を発した。
「よくもぬけぬけと…マザクをたらし込んで、私を監禁したのは貴様であろうが!」
「な、監禁?誤解や、陣内!僕はそないなこと聞いてないで!!」
 誠は手と首を振って必死に否定した。だが陣内は全く聞く耳を持たなかった。
「ええいっ、下らぬ言い訳などいらんっ!我が怒りを受けよ、誠!!」
 そういって、陣内は、背中に背負った装置のボタンを押した。同時に肩のアンテナが低いうなり声を
上げる。
「わあああっ!」
 誠は、悲鳴を上げて、とっさに腕で顔を覆った。しかし―
「あれ?」
 いつまで経っても予想していた衝撃も痛みも襲ってこない。訝しく思って、誠は陣内に問いかけて
みた。
「陣内、それは一体何なんや?」
 対する陣内は、腰に手を当て、胸を張って誇らしげに答えてきた。
「ふふふ、これこそ、この日のために作り上げた我が秘密兵器・赤外線照射装置だぁっ!恐れ入った
か、水原誠!! ふひゃひゃひゃひゃひゃ…」
 あたりにアレな笑いが木霊する。勝ち誇っている陣内に誠はジト目でつぶやいた。
「陣内、紫外線やマイクロ波ならともかく、この程度の出力の赤外線じゃ人は殺せへんで。暖かい
だけや。」
 だが、陣内はその言葉を全く意に介す様子もなく、更に高らかに笑い声を上げた。
「ひゃひゃひゃひゃひゃ、愚か、愚かなり、水原誠!この装置は貴様を抹殺する為の物ではない!」
「え?」
 誠は怪訝そうな表情で問い返した。
「まだわからんとは。いいだろう、ヒントをやろう。貴様が持っている物は何だ?」
「え?バレンタインチョコやけど…あぁっ!!」
 誠は、やっと自分が置かれている状況に気づいた。あわてて鞄の中身を確認する。
 鞄を開けると同時に甘い匂いがムワッと広がった。鞄の中は溶けたチョコの海になっていた。
もちろんリュックや台車の中も同様だ。
「あぁ、せっかくみんなにもろうたのに…」
 誠はその場で泣き崩れた。それを見て陣内は満足げな表情で更に高らかに笑い声を上げる。
「ひゃーっ、ひゃっひゃっひゃ。この偉大なる私を監禁した報いだ、ざまあみろ!」
 今回ばかりは陣内の逆転完全勝利だった。打ちひしがれた誠を十分観察し、勝利の笑みを
浮かべたまま、ふと思いついたようにポンと手を打った。
「そうだ、記念写真を撮ろう。ここで待っておるのだぞ、水原誠。」
 などと勝手なことを言うと、陣内は走り去っていった。


 どれほどの時が経ったのだろう。誠はまだ泣いていた。せっかくもらったのに…家に帰って、
少しずつ食べるのを楽しみにしてたのに…それがいまや、ただの一つの固まりになってしまっている。
包装紙やら、リボンやらが混ざっているのでもう、食べることもできない。それにチョコをくれた、
みんなにも申し訳がなかった。誠はただ、泣くしかなかった。
「誠?」
 ふと、耳に鈴の音のような声が聞こえてきて、誠は顔を上げた。
「イフリータ…」
 目の前にイフリータが立っていた。
「部室にいつまで経っても来ないから心配したぞ。どうしたんだ、誠。何を泣いている?」
 イフリータは、誠の間にしゃがみ込むと、誠の頬に手を伸ばした。親指が誠の頬を伝う涙を拭う。
「イフリータ!」
 誠は、イフリータの胸に飛び込んだ。イフリータは、一瞬、驚いたが、誠が自分の胸の中で細かく
嗚咽しているのを見て、左腕で誠の体を抱きしめ、右手でその頭を優しくなでた。赤ん坊をあやす
母親のように優しげな表情で。
 そこへ、使い捨てカメラは手にした陣内が戻ってきた。そして誠とイフリータが抱き合っているのを
見て絶叫する。
「き、貴様ら、ちょっと目を離した隙にこんなところで何をやっている!まだ懲りておらんのか!」
 それを聞いて、イフリータはきっ、と陣内を睨み付けた。そして低い、何かを押さえつけているような
声で問いを発する。
「誠を泣かせたのはお前か?」
「そ、そうだ。それがどうした。」
 イフリータの迫力に気圧されながらも、陣内は帝王のプライドで必死にそれを隠して、答えた。
だが、その足は一歩、二歩と無意識のうちに後ずさっている。
 もう一歩後ずさろうとした陣内は、そこで何かにぶつかった。
 慌てて振り向くと、そこには完全に座った目をした、マザク及び生徒会役員、そして、数十いや、
数百人の女生徒が立っていた。
 陣内の顔が一気に青ざめる。
「ま、待て、お前らっ!ここは一つ冷静に話し合おうではないか!!」
 だが、それに対する彼女たちの答えはたった一つだった。
「問答無用!」
 次の瞬間、辺りに陣内の悲鳴が響きわたったのだった。
 イフリータはそんな光景をしばし眺めていたが、突然、思い出したように誠に囁いた。
「そうだ、誠、これ。」
 顔を上げた誠の目の前に、イフリータが小さな包みを差し出した。
「バレンタインチョコだ。受け取ってくれ。」
 その言葉に誠の悲嘆の涙が感涙に変わった。
「ありがとう、ありがとう、イフリータ。」
 誠は今や唯一となってしまったそのチョコをぎゅっと胸に抱いてイフリータを見上げた。
「そんなに喜んでくれるなんて…私も嬉しいぞ、誠」
 傍らで繰り広げられている阿鼻叫喚を愛フィールドで遮断し、二人はいつまでも見つめ合っている
のだった。


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