我が城で踊れ潜入者 


第九章 未来を探求する者たち(後編)


 アレーレが持ってきたのは、一冊の古びた絵本だった。ファトラはそれをアレーレか
ら受け取ると、一応中身を確認した後、ストレルバウに手渡した。
「それを読んでみよ。話はそれからじゃ。」
 疑問符を顔に張り付かせたまま、絵本を開いたストレルバウだったが、それを読み進
める内に、次第にその表情から疑問が消え、代わりに研究者の表情が現れてきた。
 元々、文字もページ数もそれほど無い絵本をあっという間に読破すると、ストレルバ
ウはファトラを見上げた。
「これは?」
「まあ、絵本じゃから、かなり省略されていようが、大筋は違っていまい。こんな愚か
者どもがその辺にごろごろ転がってるとも思えんしのぉ。」
 それは、心を交換した王子と王女の物語だった。


 薄暗い部屋。ただ、そこにあるだけの調度品。その奥にある玉座。それに座している
父。全てはいつも通りだった。兄の姿でこの場にいる自分も、既にいつも通りと言って
もいい頃なのかも知れない。
 だが、私の心だけはいつもと同じ、というわけにはいかなかった。
「父上。」
 静かに呼びかける。自分でも驚くほど静かに。叫ぼうとしたはずなのだが、口から出
てきたのは何故か、つぶやきのようなその一言だった。
 父は、頬杖をついたまま、ただ視線だけを投げ返してくる。それ以上の反応らしい反
応はない。
「父上は初めから…そのつもりだったのですか?」
 今度は明確な問いを投げかける。これで反応が無いというのなら、父は私と会話する
気がないと言うことだろう。だが、それについては杞憂に過ぎなかったようだ。
「汝には失望した。」
 父が発したのは、ただその一言だった。だが、その一言は、自分の心の堤防を決壊さ
せるのに余りある威力を確かに内包していた。そこからあふれだした感情はそのまま言
葉の濁流となって口から溢れ出していく。
「失望?失望ですって?父上、貴方が私に期待したことなど本当にあったのですか!?私
は今までずっと勘違いしていました。父上が本当に望んでいたものは兄上でも、まして
や、自分の意のままになる後継者でもなく、この体そのものだった。そうでしょう!?」
 言葉の激流の直撃を受けながらも、父にはまるで動じた様子がなかった。いつもと変
わらぬ表情でいつもと同じ口調で言葉を紡ぐ。
「汝にも、汝の兄にも我が後継者となる資質がなかった。ただ、それだけのことに過ぎ
ぬ。ならば、我がこの国を治め続ける他あるまい。」
「私は、今まで無条件で父上の命令に従ってきました。ですが、戦えば戦うほど国力は
疲弊して行くばかり。兄上がいなくなってからは、それこそ目に見えて…」
「自分の無能を棚に上げて、今度は泣き言か?所詮、汝はその程度なのだ。戯れ事はそ
の程度にしておとなしくその体を差し出せ。」
 そういうと父は懐からあの装置を取り出した。そして、ゆっくりと立ち上がる。
 それを見て、反射的に腰に手をやろうとした瞬間に、太ももを何かが掠めた。
「動かぬ方がいい。知っておろう?この部屋にはそういう物が数多ある。」
 熱さの残る傷口から血が滴りはしなかったが、代わりに焦げ臭い臭いが立ち上る。
「兄上にも、出来たはずだ…」
「何だと?」
 自分のつぶやきの意味をとりかねて、父が聞き返してくる。その瞬間、背後から破砕
音が聞こえた。数瞬遅れて、自分の隣に『彼女』が着地する。さざ波のようになびく水
色の髪、砂浜のような白い肌、深海を思わせる深い色の瞳、そして波の形をかたどった
ゼンマイを携えて。
「兄上にも出来たはずだ、アクエリアを呼ぶことは…」
 もう一度つぶやく。父に、と言うよりもむしろ自分自身に。
 彼女―アクエリアがゼンマイを一振りすると、乾燥しきっていた部屋の空気に、しっ
とりと肌に絡み付く程の湿り気が与えられた。そしてゼンマイの先をぴたりと父の方に
向ける。だが、それでも父の歩みは止まらなかった。
「それで、どうするというのだ?我を殺すと言うか?この国を滅ぼすと言うのか?出来
るのか、汝に?滅びへの引き金を引く度胸が汝にあるというのか?」
目は逸らさなかった。いや、逸らす訳にはいかなかった。ただ、真っ正面から父を見
据える。
「国のこと思うのなら…この国を滅ぼさないためには…この国が必要としているのは、
父上、貴方でも、無論、私でもない…兄上なのです。今更、今更そんなことに気づくな
んて…」
 知らぬ間に涙があふれていた。だが、視線は父から外さない。父の表情に、ようやく
驚愕が現れた。
「ま、待て!」
 父の制止の声とほぼ同時に、アクエリアのゼンマイが一度だけ震え、そして、部屋は
長い沈黙の中に沈んでいった。


『おうじになったおうじょさまは、およめにいったおうじさまにあいにいきました。で
も、ようやくついたときには、おうじさまはもう、びょうきでなくなっていたのです。』


 誠の手は、そのページで止まっていた。肩がはっきりと判るほどに小刻みに震えてい
る。
「こないな、こないな事って…」
 シンクロによって、あの二人にかなりの思い入れを持っていた誠の受けたショックは、
相当の物だった。先エルハザードの時代に生きていた二人が滅びの運命から逃れられな
いことは判っていたが、それが神の目ではなく、こんな形で訪れる事になるとは、考え
てもみなかった。
「判ったか、誠。この愚か者どもは、本当の自分自身はおろか、国すらも犠牲にして、
その挙げ句全てを失ったのじゃ。」
 ファトラの声を聞いて、ようやく誠は絵本から視線を外し。彼女の方を向いた。それ
を待っていたようにファトラが更に続ける。
「小奴らに同情の余地など無いぞ。自業自得なのじゃからな。じゃが、それに巻き込ま
れた国民達はどうなる?統治者が統治者の責務を果たさず、その挙げ句、自滅するなど、
独裁者などより余程たちが悪い。」
 ファトラの顔には、はっきりと嫌悪の表情が浮かんでいた。王女という立場にいるか
らこそ、なおさらこの絵本の話が許せないのだろう。もっとも、誠にはファトラも公務
を自分に押しつけて遊んでいるようにしか見えないのだが。
「とにかく、これでそのガラクタが害悪しかもたらさないのが、そなたにもよく判った
じゃろう?」
「でも…」
「でも、何じゃ?」
 誠の歯切れの悪い返答にファトラが怪訝そうな表情を浮かべて、先を促してくる。気
圧されそうになりながらも、誠は自分自身を押し出すようにして、ファトラに向かって
一歩踏み出してから先を続けた。
「でも、だからこそ、二度とこないな事が起こらんように、この話と共にこの機械もそ
れの生き証人として遺して行くべきや。僕はそう思います。」
「今、ここで壊してしまえば二度と起こらぬと思うが?」
「将来、似たような機械が出来ないとも限らないやないですか?」
 あくまで強攻策に出ようとするファトラに誠は何とか食い下がった。だが、旗色が悪
いことは誠自身も自覚していた。
「ファトラ王女、私もそれがよろしいのではないかと考えます。」
「ストレルバウ博士。」
 ストレルバウの思わぬ助け船に、誠の表情が明るくなる。ストレルバウは誠を後ろに
引かせるようにして誠とファトラの間に割り込んだ。二人の身長差を考えると、あまり
意味のある事ではなかったが、それでもファトラから受けていたプレッシャーが和らぐ
のを誠は感じていた。
「ファトラ王女、この遺物はある意味、神の目と同じなのです。」
「何じゃと?」
 ストレルバウの言葉にファトラが疑問の表情を浮かべる。それは誠も同じだった。一
呼吸置いてから、ストレルバウは続ける。
「神の目の存在が古の聖戦が実際に起こったことであると証明すると同時に、聖戦の伝
承が神の目の脅威を警告する。双方がそろうことで、非常に高い抑止力を持っていたこ
とは言うまでもございませぬ。この遺物とその絵本にも同じ事が言えるのではないでし
ょうか。実際、ファトラ王女もその絵本を今まで、ただのおとぎ話だとお思いだったの
でしょう?この遺物がなければ、このままおとぎ話として埋もれていったことでしょう。」
「このガラクタと絵本の話は二つそろってこそ意味があると申すのか。だが、それが証
明済みの今、壊れていようが支障有るまい。いや、むしろその方が安全ではないか?」
 ファトラの言葉を聞いて、ストレルバウは眉根を寄せた。
「恐れながら、物事を力をもって解決しようと言うのはいかがな物でしょう?いかに正
当化しようとも破壊からは何も生まれはしませぬ。」
 ストレルバウの口調は明らかにファトラをたしなめる物だった。下手をすると火に油
を注ぎかねない、誠はそう思っていた。しかし、ファトラの反応は意外な物だった。
「妾のしようとしていることは、リリィと…同じだと言うのか?」
 ファトラにとって、ストレルバウのその言葉は全くの予想外だったらしい。声、表情、
態度、ファトラの全身があらゆる手段で、彼女の動揺を表現していた。無論ストレルバ
ウはこの好機を逃しはしない。
「リリィ…とはどなたなのかは存じませんぬが、恐らくファトラ王女が感じたとおりな
のでございましょう。どうか、賢明なるご判断を。」
 そう言うとストレルバウはファトラに対して一礼し、そのままの姿勢で静止した。ファ
トラの返答を待っているのだ。
「…神の目解析の遅れ、早急に取り戻せ!良いな!」
 そう言うや否や、ファトラは足早に出口に向かって歩き出した。今までじっと様子を
見ていたアレーレも2,3度全員の顔を見回してからそれに続く。
「ファトラ王女、ご英断感謝いたします。」
 ファトラの背中に向かって、ストレルバウは更に深々と礼をしたが、ファトラは振り
返らずに、そのまま研究室を出ていく。代わりにアレーレが困惑した顔でぺこりと頭を
下げていった。 
「博士、結局どうなったんです?」
 二人が出ていったのを確認してしばらくしてから、誠は未だに頭を垂れたままのスト
レルバウに問いかけた。
「認めては戴けないが、目を瞑っては戴ける、と言ったところかの?まあ、次の定例会
議では、神の目解析に関するそれなりの成果を発表せぬといかんじゃろう。」
 ようやく顔を上げたストレルバウは髭をいじりながらそう答えてきた。
「次て、今進行中のとこまとめるのは無理やから、経過報告でお茶濁そうて、この前言っ
てたやないですか?」
「無理でも何でも、そうせん事にはせっかく引いて下さったファトラ王女の面目を潰す
ことになるでのう…とりあえず、この遺物のことは定例会議を終えて一息ついてからと
言うことになるのう。」
「やるしかない言うことですか…この遺物を持ち込んできたのはファトラさんやのに。」
 理不尽な物を感じつつ、誠は天を仰いだ。視線の先にあったのは、当然いつも通りの
天井だった。考えてみれば、ファトラのわがままも、自分が神の目の解析に全力を尽く
すのもいつも通りのことではある。
「…ようやくいつも通りに戻った言うことなんかなぁ?」
 ともあれ、ファトラの持ち込んだ遺物によって、過去の物語に囚われていた誠の心は、
その張本人のファトラによって蹴り出され、イフリータの待つ未来へと再び歩き始めた
のだった。


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エピローグに続く

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