我が城で踊れ潜入者 


第八章 踊り続ける舞踏者達(後編)


 心おきなく舞い続けた炎は、徐々に小さくなり、最後にもう一度だけ明るく輝くと唐
突に消滅した。後には何も残っていない。残っているわけがなかった。
 そこには何もなかったのだから。
 その場所よりほんの数歩下がった位置にファトラは立っていた。それに気付いたリリィ
が信じられないと言った表情を浮かべているのが見える。
「そんな、そんな馬鹿なことが…」
「生憎じゃったな。妾のダンスパートナーになれるのは美少女のみなのじゃ。」
 うめくようにつぶやくリリィに向けて、ファトラは余裕たっぷりに告げた。実際の所、
余裕などほとんどなかったが、虚勢と言うものはこういうときに使う物だろう。
「その毛皮…いえ、毛皮じゃない。それがロシュタリア王家の生態甲冑族!?」
 思い当たったことをリリィがそのまま言葉にする。
 いくらウーラと言えども、あの炎の中にいては数秒と保つわけはない。ウーラが尻尾
で炎をなぎ払ってくれた一瞬に後ろに飛び―と言ってもすぐ後ろが壁だったため数歩下
がる程度だったが―リリィから死角になる炎の陰にいたのだ。
「スコシ、アツカッタ」
 素直な感想を述べるウーラをちらりと見てから、リリィの手首の腕輪に視線を移して、
ファトラは続けた。
「炎のランプじゃと?…それが何を意味するのか判っておるのか?」

 ランプは、先エルハザードの遺物の中でも特殊な部類に位置する。その所有権は全て
神殿にあり、遺跡から発掘された場合でも、直ちに神殿、もしくは発掘に立ち会った神
官に引き渡さなければならない。
 神官の扱う方術の源であり、ステータスシンボルでもあるランプの扱い方は神官修道院
で、特殊な精神修養を行った後、資質があると認められた者のみに口伝によって伝授
され、部外者には決して漏らされることはない。また、神官になった者は神殿の庇護下
に置かれると同時に、国に対する全ての義務と権利を失効する。
 ここまでして、神官を国から独立した存在とするのは、神殿がいかなる国にも依存し
ない独立した組織であるため、というのが表向きの理由であるが、実際の所、極めて携
帯性が高く、それでいて驚異的な力を持つランプとそれを扱う神官とを国家の政治から
隔離したいが為、というのが本音であるらしかった。
それ故、ランプの不法所持及び使用は問答無用で同盟反逆罪と神殿背約罪が適用され
る。

「判ってるわよ。知られた以上、貴女を確実に仕留めなければならないって事くらいわ
ね。もっとも、知られる前に死んでもらうつもりだったんだけどね。」
 リリィはおどけたような表情でそこまで言うと、一呼吸置いてから、顔の前に人差
し指を立てた右手を掲げて付け足した。
「それに…貴女にそれを言う資格はないでしょう?」
「なんじゃと?」
 ファトラの返答、とは言えないが、ともかくそれを聞いてリリィはあきれたように軽
く首を振った。
「あら、まだとぼけるつもりなの?言われるまでは認めないと言うのなら言ってあげる。
神の目よ。封印を解除されたまま、今も天上から私たちを睨み付けている。」
「それについては研究と機能解析の為と同盟首脳会議で承認されたはずじゃ。途中経過
の定例報告会もきちんと行っておるじゃろう?」
 リリィの人差し指が指し示していた物が何なのかやっと理解したファトラは、まるで
会議の答弁のように感情を押し殺した声音でそう返答した。
 これは嘘ではないが事実とは微妙に異なる。研究と機能解析は「目的」ではなく、た
だの「手段」だ。誠がイフリータを迎えに行くための。しかしそのことは当然他の国に
は伝えられていない。
 そのファトラの返答に対し、さも、当然というようにリリィが肩をすくめた。
「国ごと消滅させられかねないのよ。逆らえる者なんているわけないでしょう?」
「ロシュタリアが…そのようなことをするなどと本気で思っておるのか?」
 感情を抑えるように声を押し殺したファトラに対し、リリィはあくまでおどけた調子
で答えてきた。
「少なくとも私の雇い主達はね。でも、滅多に人前に姿を現さないはずのマルドゥーン
の大神官達があの大戦以降、度々ロシュタリアに訪れているのは事実でしょう?神の目
の査察だなんて言ってるけど、大神官を抱き込んで、あなた達が何かをたくらんでいる
と思われても仕方ないんじゃない?」
「先の大戦で姉上、いや、ルーン王女は最後まで神の目の使用をためらっていたのだぞ。」
「人間というのはね、絶対的な力を得ると変わるものなのよ。それにルーン王女がため
らっていたのは、貴女が不在で使いたくても使えなかったからではなくて?」
「それが、それが姉上を暗殺しようとした理由か?」
 肩を震わせて―爪がグローブを突き破って掌に突き刺さってしまいかねないほど拳を
強く握りしめているからだ―ファトラは問い返した。
「まあ、そう言うことになるわね。理由も判ったことだし、そろそろ死んでもらえるか
しら?」
 リリィの指がランプをこすり、再び宝玉が輝きを発するのと同時にファトラもまた、
行動を開始していた。
「確かに、誤配された物への抗議は配達人にではなく、送り主にせぬとな!」
 ファトラはリリィに向かってまっすぐに走り出した。方術を相手に距離を開いている
のはあまりにも不利だ。間合いを詰めなくてはならない。
 当然の事ながら、リリィは迎撃してきた。薙払うように振られた左腕の動きをトレー
スするように炎が生まれ、襲いかかってくる。伏せればかわせるだろうが、すぐさま追
撃が来ることは目に見えていた。ならば。
 ファトラは床を蹴って、迫り来る炎のバーを飛び越え、そのままその勢いを利用して
両腕で床を突き放して前転した。そして浴びせ蹴りの要領で踵を振り下ろす。狙うはリ
リィの肩口、だったのだが、体勢に無理があったこともあり、すんでの所でかわされた。
 着地ざまに、背後に回り込もうとするリリィを追いかけるように体を半転させて放っ
た足払いも、彼女は後ろに飛んで回避した。
 更に追撃を加えようとした刹那、ファトラの視界を何かが横切った。そのことに彼女
が気付き、動きを止めたのとほぼ同時に、床に金属音を立てて何かがはねて転がる。
ファトラは反射的にその音がした方向に視線を向けた。
 それはどうやらナイフのようだった。リリィが飛び退きざまに投げたのだろう。それ
をウーラがとっさに払ってくれたらしい。夜目の効くウーラだからこそ出来たことだ。
もしウーラがいなかったら―ファトラは背中にぞっとする物を感じずにはいられなかっ
た。そんなファトラにウーラが心配そうに問いかけてくる。
「ダイジョウブカ、ファトラ?」
「あぁ、すまぬな、ウーラ。」
「コレガ、ヤクメ。」
 たったそれだけの会話だったが、心の中に広がりかけた不安が消えていることにファ
トラは気付いていた。
「ずるいわね、二対一じゃない。」
「暗殺者にそのようなことを言われたくないわ。」
 不満げな調子のリリィにファトラは反射的に反論した。
「そうよね、相手を殺せればそれでいいんだもの。何をしたって自由よね。」
「…何をする気じゃ?」
 とっさに間合いを詰めようとしたファトラの足下にリリィはナイフを投げつけてきた。
それに気付いたファトラが踏みとどまった隙に、リリィは更に後ろに飛ぶ。
 これで、また迂闊に飛び込める間合いではなくなってしまった。舌打ちするファトラ
に対し、リリィは笑顔で答えてきた。
「ちょっとした実験よ。もう夜も更けてきたし、そろそろ眠くなって来たんじゃなくて?」
「生憎、夜更かしには慣れておる。」
 答える義理はなかったが何となく馬鹿にされているような気がしてファトラはそう返
答した。
「そう?本当はもう瞼が重いんでしょう?」
「また、催眠術か?それが通じぬ事は先程判ったであろう?」
 リリィの意図に気付いてファトラは耐暗示用の精神制御を開始した。神の目の制御を
司るロシュタリアの王族が何者にも利用されないように生み出され、代々精錬されなが
ら伝えられてきた秘伝だ。ガレスが使っていたような強力な幻影術でもない限り、まず
確実にあらゆる暗示をうち破ることが出来るものだ。
 だが、そんなことには構わず、リリィは続けてきた。
「ほら、もうあなたは夢の中♪」
 リリィがそう断言してくるが、ファトラの身体に異常はなかった。一応、軽く確認し
てから一歩踏み出す。
「通じぬと言うたろう?」
「そうかしら?」
 全く動じる様子もなくリリィはそう返してきた。初めから効果は期待はしてなかった、
と言うことなのだろうか?そういぶがった瞬間、ファトラは異常に気付いた。自分自身
の体に、ではない。肩口から何かがずり落ちていく感覚。完全に眠りに落ちたウーラが
元の猫形態に戻って床に落ちていった。
「ウーラ!」
「貴女自身には効かなくても猫には効いたみたいね。」
 思わず叫び声をあげたファトラにリリィは勝ち誇ったように告げた。と同時にランプ
を起動させる。
「今度こそさよならね。」
 リリィの突き出した左腕から三度紅蓮の炎があふれ出す。これを避けたとしても、
ウーラを纏っていない以上、もう勝機はほとんどないも同然だった。勝機が残っている
とすれば、もはやこの一瞬しかない。
 そう直感したファトラは足下のウーラを拾い上げ、まっすぐに迫ってくる炎の渦に向
かって思いっきり投げつけた。
 ウーラは回転しながら炎の渦を切り裂き、まっすぐにその向こうにいるはずのリリィ
に向けて飛んでいった。そして。
「はうっ!」
「ウニャァァァァァァァァッッ!!!!!」
 鈍い音と共にそんなような叫び声が部屋の中に響く。
 炎の渦が消えた後、その向こうに見えたのは『アツイ、アツイ』と言いながら床を転
げ回っているウーラと、腹を押さえ、前屈みになってよろけているリリィだった。どう
やらウーラは彼女の腹部に命中したらしい。既にファトラは走り出していた。
「馬鹿な、こんな…こんな馬鹿な…」
 防御の姿勢すら見せず、リリィはただそれだけを何度も繰り返しつぶやいていた。
「はぁっ!!」
 気合いと共に、大きく弧を描いて繰り出されたファトラの回し蹴りが、死に神の大鎌
のごとき鋭さで、苦しげにうめくリリィの側頭部を捕らえる。彼女の体は一回転半して
床に叩きつけられ、そしてそのままその動きを止めた。

 いまだに転げ回っていたウーラが足にぶつかってきたので、ファトラはウーラを拾い
上げた。うっすらと焦げたウーラが非難の視線を向けてくる。
「ヒドイゾ、ファトラ!」
「済まぬ、あれしか方法がなかったのじゃ!」
 かなり怒っているらしく、珍しく足をばたつかせて暴れるウーラを取り落としそうに
なりながらもファトラは必死に弁明した。さすがに今回は悪いことをしたと思っている。
だが、とっさにあの局面を打開する方法をあれ以外思いつかなかったのは事実だ。
「悪かった。しかしこうして無事、勝てたのはそなたのおかげじゃ。礼を言うぞ。」
 それを聞いて、ウーラは暴れるのを止めた。だが、まだ疑わしげな視線のまま問いか
けてくる。
「ホントニ、ハンセイ、シテイルカ?」
「あぁ、もちろんじゃ。」
「モウ、コンナ、ヒドイコト、シナイカ?」
「せぬ。せぬとも。」
 さすがにもうこんな事はないだろうし、御免被る、と思いながらファトラは返答した。
それでウーラはとりあえずは納得したようだった。おとなしくなったウーラを床に降ろ
すと、ファトラは床に倒れているリリィに視線を移した。
「さて、残るは後始末だけじゃな。」 


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第9章に続く

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